映画監督・脚本家のミスバッハ・ユサ・ビランは、1975年に東南アジア初の映画アーカイブ「シネマテーク・インドネシア」を設立した。映画を「知識の生産」と捉えるアーティスト集団「Forum Lenteng」は、ミスバッハと時に意見を違えながらも、インドネシア映画の歴史について対話と撮影を重ねた。公的支援や専門人材に乏しいなか、劣化するフィルムや保管庫の窮状と、ひとりの人物が保存制度を背負う現実を追う。しかし製作中にミスバッハが他界し、構想の変更を迫られた。彼らは残された映像から作品の形を探り直し、ひとりのアーキヴィストが生きた時間をとどめながら、映画保存そのものを見つめ直す作品へと再構成した。完成から十余年を経た今も、本作は保存と映画史をめぐる対話を生み続けている。