不眠と無気力に苦しむモリは、まともな音楽を作れないまま時間をやり過ごし、写真家として成功した妻マイコとの居心地の悪い同居生活を続けている。かつて恋人同士だったモリとアサコが偶然再会し、近況を語り合うなかで、それぞれがたどった記憶の中に異なる過去を見いだす。家に戻ったアサコを待っているのは、現在の恋人が用意した温かい食事と、もう一度絵を描きたいという欲望だ。そしてマイコの展覧会で、モリは彼女の愛情に満ちたフレームに捉えられた、自分のささやかな日常の風景を発見する。2021年の短編『窓たち』でワイドアングル部門に招待された志萱大輔監督の長編デビュー作『猫を放つ』は、微妙に絡み合う感情の機微を、繊細で鋭敏なまなざしで解きほぐす。映画中盤でモリとアサコの記憶がすれ違うにつれ、時間と事実は意図的に混同され、断片化されるが、全体の雰囲気は一貫して淡々と静かだ。このように物語の充実よりも感情の必然性に焦点を当てる巧みな選択が、結末に至ってマイコが玄関先で感じる小さな感動をもたらす。「今、幸せですか?」という問いへの答えは、もしかすると人生のあちこちに隠れているささやかな満足の中にあるのかもしれない。